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パレスチナから退避して:石井風帆さんインタビュー

外大生インタビュー

2023年10月7日にパレスチナ自治区ガザ域内からロケット弾が発射され、イスラエルとパレスチナの武力衝突が激化しました。このとき、パレスチナのビルゼイト大学でアラビア語を学んでいた言語文化学部アラビア語3年の石井風帆(いしいかほ)さんに、攻撃が始まった日の様子や退避時の緊迫した空気、パレスチナへの思いなどをインタビューしました(インタビュアー:留学支援共同利用センター 小松謙一郎 留学支援コーディネーター)。

パレスチナへ留学

―――パレスチナの話に入る前に、石井さんが本学のアラビア語専攻に入学した理由を聞かせていただけますか。

高校の世界史の授業で、中東の歴史にとても惹かれました。歴史だけでなく、文化やイスラム教という宗教にも大変興味を持ちました。特にイスラム教の生活に根ざした宗教感に何か惹かれるものがあり、もっと勉強したいなと思い本学のアラビア語を志望しました。

―――3年次の秋から、パレスチナやヨルダンに休学して留学することにしました。

派遣留学ではなく休学留学を選択した理由は、同じ大学に長期に所属するのではなく、いくつかの地域を回ってさまざまな文化に触れたいと思ったからです。2?3箇所の大学に留学することを考え、自分の留学スタイルや興味を加味して、最終的に、パレスチナに3か月、ヨルダンに5ヶ月留学することを決めました。

―――9月からまずはパレスチナのビルゼイト大学に留学していますね。ビルゼイト大学では、どのようなプログラムに参加したのでしょうか。

「パス;PAS(Palestinian Arabic Studies)」という、アラビア語を母国語としない留学生のためのプログラムに参加しました。そこでは、アラビア語の文語であるフスハーと、口語であるアーンミーヤの2種類のアラビア語クラス、さらに、パレスチナ問題や歴史についての授業をとりました。今学期は開講されていませんが、このプログラムでは、アラブ世界のジェンダー感などの社会学系の授業も用意されています。

ビルゼイト大学で記念写真

―――ほかの留学生は、どのような国から参加しているのですか。

アメリカやヨーロッパなどからの参加者がほとんどです。アジア系は、韓国からの男子学生が数人いますが、アジア系の女子学生は私一人でちょっと目立ちます。

現地の友達と。左はホ?ーリンク?、右は街で。

―――現地の人たちと交流する機会はありますか。

割とたくさんあります。日本と違って、街角やスーパーなどでも現地の人たちが人懐っこく話しかけてきます。私がアジア人なので特に目立つのかもしれません。話しかけてもらったときは、現地の人たちとコミュニケーションを取るチャンスだと思って、積極的に会話をするようにしました。アラビア語が通じなさそうだという場面でも、英語が割と通じました。

ビルゼイト大学

ビルゼイト大学は、1972年に設立された総合大学。パレスチナの大学の中でも最も歴史のある大学の一つで、自由な雰囲気と、学生の様々な活動の自由を認める方針が特徴。9つの学部があり、97の学士課程プログラム、42の修士課程プログラム、3つの博士課程プログラムを持つ。ヨーロッパやアメリカの多くの有名大学と学術的な関係を保持している。留学生向けにPAS(Palestine and Arabic Studies Program)というプログラムがあり、毎年多くの留学生を受け入れている。

攻撃が始まる

―――10月7日にハマスによるイスラエルへの大規模攻撃が始まりました。

朝起きて、他の留学生やコーディネーターとのSNSグループをみたら、ものすごい数の通知が入っていて大規模攻撃があったことを知りました。ガザでもヨルダン川西岸地域でも、日常的にじわじわイスラエルからの支配を感じていたので、寝耳に水という訳ではありませんでした。その朝はまだ、ハマスからの攻撃しかなかったのですが、イスラエル側の報復がかつてないほど大きくなる、という不安はすごくありました。

左:ラマッラーから見る夜景、奥の光る部分はイスラエル。右:ラマッラーの住宅、建物の上の黒いものは貯水槽

―――その日の現地の様子はいかがでしたか。

コーディネーターの方からこれからもっと事態が大きくなるから食料をストックしておいた方が良いと言われ、朝のうちにスーパーに行ったところ、現地の人々も食料品の買いだめをしていて異常事態を実感しました。

―――その日の授業はどうなりましたか。

その日は、土曜日で大学がもともとお休みでした。翌日にフィールドトリップが予定されていたのですが、ちょうどイスラエルの入植地化されていく村へのフィールドトリップでしたので、もちろん実施しなくなりました。

課外学習にて。左:イスラエルによって築かれた壁、右:入植活動によって破壊された建物

パレスチナからの退避

―――外務省が危険レベル情報を引き上げ、本学からも退避を促す連絡をしました。

私が住んでいたラマッラーの街は落ち着いていたので、連絡があるまで退避を考えていませんでした。大学は一時的にオンラインにはなっていましたが、すぐに対面に戻ると思っていましたし、ガザは深刻だけど、自分のいるところは最初はあまり深刻に考えていませんでした。それに、この場所に身を置いて自分で何が起きるのかを見てみたかったという気持ちも正直ありました。ですが、親もとても心配していましたし、本学卒業生の方からも、「ここに残って後で残るべきでなかったと後悔するのと、残ればよかったと後悔するのと、どっちの後悔を取る?」と言われ、何かあった時の後悔というのは取り返しのつかないものかもしれないと思い直し、退避することを決めました。

ヒ?ルセ?イト大学て?のストライキ

―――現地駐在の本学卒業生にもサポートしてもらったのですね。本学は各地域の専門教員ももちろんいますが、卒業生ネットワークが世界中に広がっていますね。

はい、本学OBの駐在員の方は、退避前日にも会ってアドバイスをいただいたり、退避中も連絡をとりながらずっとサポートしてくれました。安心感もとてもありました。本当に東京外大のネットワークに助けられたと感じました。

―――陸路で退避したと伺いました。

私が住んでいたラマッラーからは、エバケーション(避難)仲間のドイツ人留学生と一緒にタクシーで退避することにしました。朝5時半にラマッラーを出発して、ヨルダン国境のアレンビー橋まで行きました。国境のセキュリティはイスラエル側が管理しています。アレンビーには7時前には着きましたが、国境通過時の厳重なチェックで4時間待たされました。国境を通過しようとしているタクシー運転手はみなパレスチナ人。車は8台くらいしかいなかったのでもう少し早く国境を通過できると思いましたが、必要以上に時間をかけているような異様な空気というか、イスラエルとパレスチナの緊張感を間近で感じて少し怖くなりました。

アレンヒ?ーのセキュリティ

―――ヨルダンに入ってからはどう過ごしたのですか。

一緒に退避したドイツ人留学生のヨルダン人の友人のところでしばらくお世話になりました。一緒に退避したドイツ人の友人には本当にお世話になりました。退避前も一人暮らしをしていた私を「一人だと心細いだろうから泊まりに来なよ」と気にかけてくれましたし、退避後のヨルダンでもこのようにサポートしてくれて、本当に感謝しています。

これからも自分事として注目を続け、発信していきたい

―――日本に戻ってきて、引き続きオンラインでビルゼイト大学の授業を受講しながら、現地の情勢も日々チェックをしていると思います。どういう気持ちで現地を見ていますか。

とりあえず早くイスラエルの侵攻が止まってほしいという思いです。もちろん今一番注目すべきはガザの情勢ですが、西岸地区でも混乱に乗じていろいろと起きていると現地の友人や先生から聞いています。彼らにも普通の生活があって、普通に暮らしています。以前から入植地が作られたり壁が作られたりと特殊な状況が続いていました。それでもそこに暮らしてきた人たちですから、自分たちのパレスチナという国に対する思いは強いのではないかと思います。

ラマッラーの中心、マナラスクエア

―――同じ地球上に暮らす人間同士なのに、と思いますね。日本で暮らしているとなかなか想像がつきません。

何の権利があってそんなことをしているんだろうと怒りを覚えます。あの場所にただ住んでいるだけなのに、追い出されたり家を壊されたり壁を造られたり、隔離されたりしなければならない。なにか私にできることがあるとすれば、声をあげること、注目し続けることだと思っています。ウクライナの戦争もまだ続いていますが、日本の報道ではイスラエル?パレスチナ問題に注目が集まっています。私自身もそうなので人のことは言えないのですが、時が経つにつれ、関心度が下がってしまう。現地に関わったことがなければ、自分で調べるというのもなかなか困難ですし、関心を持ち続けるというのは難しいと思います。現地に身を置いた者として、私みたいな人がこれからもずっと注目し続け、パレスチナ問題の現状を少しでも発信していけたらと思っています。

―――日本に帰国してから、中東研究者のグループの会合に参加もしたと聞きました。将来の展望などはありますか。

私はもともと政治問題などに興味があってアラビア語や中東地域を勉強してきたのではないので、詳しいことを知っている訳ではありませんでした。ただ、今は、何かこれから知らなければならないと思いますし、自分が経験したことを生かして、パレスチナ側の視点でこの問題を発信し続ける責任があると感じています。ちょっとおこがましいのですが、前よりも中東に関わり続けたいという気持ちが強くなりました。将来、どのような形で関われるかわかりませんけど、勉強だけではなく、中東に関連したことをやり続けたいと思っています。それと、近い未来ですが、残りのヨルダン留学、まだどうなるかわかりませんが、何が何でも行きたいです!(笑)

―――東京外大の学生ならではだと思います。現地の視点で、現地の方の目線で、現地で起きていることを考える。政治とか宗教とか、複雑な問題はありますが、そういうのを抜きにして、人としてどうなんだろうというところを考えていくことは大事だと思います。留学に行くとまさにそういうところの想像力が磨かれるようになるのかなと思います。現地の情報に触れて辛い思いもたくさんしていると思いますが、いろいろと聞かせてくれてありがとうございました。

(インタビュー日:2023年10月31日)

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